織田信長が食べたとされる元祖こんふぇいと
選べるデザインパッケージ 「箱入り」 奈良こんふぇいと
袋入り 奈良こんふぇいと
奈良こんふぇいとの箱は下記の絵柄からお選びください(袋タイプは傳のロゴのみになります)
ハローキティと奈良こんふぇいと
2019年10月18日から“りんご味の金平糖 ”が新発売しました。
デザインは「ハローキティ×ならまちこ」のコラボと
「ハローキティ新幹線」の2種類です。
さわやかな朝を思わせるやさしいりんごの味。
是非一度ご賞味下さい。
お渡し用の袋が必要なお客様へ
お土産用としてご購入いただくお客様へ。
お渡し用の袋は有料となっております。
詳しくはこちらをご覧いただきますようお願い申し上げます。
★★★奈良こんふぇいとの名前の由来★★★
<こんぺいとう>は、砂糖菓子のひとつで、この名の由来はポルトガル語の「Confeito」(コンフェイト)からきています。
1300年余りの歴史ある奈良の<こんぺいとう>=「奈良こんふぇいと」と名付けました。
こんぺいとうの歴史

1543年(天文12年)にポルトガル人が日本にあらわれたことから南ヨーロッパの影響を受けた「南蛮文化」が開花しました。
種子島に漂着したポルトガル人達はキリスト教の布教を目的にした宣教師と通商の拡大を目指した貿易商人であった。その6年後の1549年(天文18年)には、ザビエルが鹿児島に到着遅れること20年、フロイスは永録12年(1569年)に織田信長に会っておりそのときの献上品が「コンフェイト」なのである。ところが、寛永16年(1639年)江戸幕府は、キリスト教の禁止を徹底させようとポルトガル船の来航禁止的とした鎖国令を出すのである。これにより、コンフェイトの輸入が一時とだえたが、唐人によってその製法が再び伝来され、日本人が自らの技術として製造し、江戸時代末期に手づくりされていたこんぺいとうは、明治の後期になると少しずつ機械化されていきました。
作り方(こんぺいとうは1日1ミリ)

「こんぺいとう」は専用の大きな鉄釜(直径180㎝、重さ800㎏)を時計周りで1分間に2回、ゆっくりと回転させながら芯になるグラニュー糖に蜜をかけ、混ぜ合わせながら作っていきます。
一日1ミリしか大きくならないこんぺいとうは、15ミリの粒を作るのに約2週間、手間ひまかけてつくられます。釜の傾斜角度は30度から40度、粒の大小により角度は変えられるようになっていて、職人さんはこの微妙な角度を覚えるのに3年はかかるそうです。
製造には熟練した職人さんの技が必要です。物理的な法則で、最終的に角の数はおよそ24個になるそうです。なんとも不思議なお菓子です。(一つの釜で、ひとつの色しか作れません)
こんぺいとうの工場見学に行って来ました
昔懐かしいコンペイトウづくりを実際に体験できるという、日本で唯一の「コンペイトウミュージアム」に砂糖傳スタッフが体験に行ってきました。約二時間のコースでしたがとても貴重な体験をさせていただきました。まず、コンペイトウ博士から「コンペイトウ」のとげとげの話や昔は門外不出だった製造方法や歴史などを解説していただき、次は直径85㎝のミニ釜でコンペイトウの色づけと味付けを体験。
手作り体験が終わると製造工場の見学もできます。この日の工場内の運度は43℃。もくもくと作業されている職人さん達は汗だくでの手作業で本当に大変です。「コンペイトウ」は一日に一ミリしか大きくならないので完成までに約二週間この作業を繰り返します。そして出来上がった「コンペイトウ」のとげとげは24個!熟練の職人技でありなんとも不思議なお菓子です。工場見学の後は、南蛮文化の伝道師フロイス・野村氏の「コンペイトウの大航海物語」の話やクイズ、ギターの弾き語りでコンペイトウの歌をみんなで歌ったりとあっという間に時間が過ぎてしまいました。最後に自分たちで作った手作りコンペイトウと修了証をいただいて記念撮影。大阪糖菓八尾工場の皆様ありがとうございまいた。この体験を少しでもたくさんの方にお知らせさせていただきたいと思いました。
出来上がったこんぺいとうはお土産でお持帰りできます。










































